中世からルネッサンスにかけて
中世の時代、カロンの城館はレスパール領主たちの主要封土のひとつでした。ボルドー大学所蔵の古文書には、12世紀当時のカロンのワインに対する徴税記録が残されています。15世紀および16世紀、リュール家からマルサン家、ヴァリエ家、ガスク家へと所有者交代が続きました。
1670年
ギヨーム・ド・ガスクの孫娘にあたるジャンヌ・ド・ガスクは、2度目の結婚でジャック・ド・セギュールと結ばれます。2人の間に生まれた息子のひとり、アレクサンドル・ド・セギュール(1674年〜1716年)はラトゥールの農園後継者である女性と結婚。アレクサンドルは1715年、もうひとつのポイヤックの名門、ラフィットを買収します。こうしてセギュール家は一大ワイン帝国を築き上げます。
1718年
アレクサンドル・ド・セギュールの息子、セギュール侯爵ニコラ=アレクサンドルがムートンの土地を買収します。これによりセギュール家の資産はさらに拡大。マルゴーを除く、のちのメドック格付け第1級となるシャトーすべての所有権を手にしたことになります。
1755年
セギュール侯爵の死
1824年
デュムーラン家がセギュール家の後を継ぎ、その後、フィルマン・ド・レスタピスがドメーヌ所有権を取得します。畑面積55ヘクタール… サンテステフを代表するワイナリーとして名を馳せます。
1855年
カロン・セギュールはかの有名な1855年の格付け第3級に名を連ねます。
1894年
サンテステフに位置するシャトー・カプベルンの所有者、ジョルジュ・ガスクトンは、叔父シャルル・アナピエと共同でカロンを買収します。20世紀には、ジョルジュ、エドゥアール、そしてフィリップと、代々ガスクトン家がワイナリーの運営を受け継ぎます。1920年代、1940年代、1950年代には、偉大なるヴィンテージの数々が誕生しています。
1995年
フィリップ・ガスクトンの死後、妻ドゥニーズがシャトー運営の指揮をとります。娘エレーヌ・ド・バリトーの助けも借りながら、生産設備およびぶどう畑の大規模改修に着手します。
2011年
9月の収穫初日、ドゥニーズ・ガスクトンがこの世を去ります。
2012年
シャトー改修プログラムがスタートします。
2013年
Le programme de rénovation est lancé.
2016年
9月26日、新醸造庫にぶどうが運び込まれました。11月には新しくなった育成・熟成庫に初めてのバリック樽が搬入されました。
2019年
この年の初め、シャルトルーズとフランス式庭園の修復が完了しました。